[社会心理学]他人を判断しないで寛容になりたい人へ

固定観念・先入観・偏見・差別と対策。―社会心理学の観点から―

他人を判断しないで、寛容になりたい人へ

 私たち人間は無意識のうちに他者に対してジャッジ(判決、評価)を下してしまう。

例えその相手のことや、その人の状況などを全く知らなくても、そのジャッジは下されてしまう。私たち人間はそれぞれ違う“事情”を持っていて、それが心の中(心理学では頭の中)に内在しており、それが行動になっているが、当然のように他者がその真意をその行動のみで理解することは容易なことではない。

仮に、他人の行動から、その真意を探ろうとするとき、それは推測にとどまり、個人単位の判決と評価に委ねられてしまう。この状況が織りなされることで、対人間での誤解が生まれてしまう。

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 ではここで、この状況を分かりやすく例でみてみる。

 ある母子、母・裕子と娘・紗季(両者とも仮名)は平凡な一般家庭で生活を送っていた。ある日、母・裕子のもとにスーパー Kから電話がかかってきた。その内容は、娘・紗季が万引きをしたため、スーパー Kの事務所に至急来てほしいとのことだった。

娘・紗季は大人しい子だったので、母・裕子は信じられず、血の気が引いて、その場で立ち尽くしたが、急いでスーパー Kへ向かった。

駐車場に車を止め、店内に入ろうとしたとき、母・裕子は店から出てくる女性・里美にぶつかってしまう。しかし、裕子は気が動転しており、謝る猶予もなかった。

この時、女性・里美は裕子の失礼な行動に対し、「きっとあの女性(裕子)はいつも他人に対して失礼な態度をとる、躾(しつけ)のない人だ。」と、ジャッジを下した。裕子の“事情”を知らないで。

しかし、この件以降、女性・里美は、急いで行動している女性を見るたびに、裕子のことを思い出し、その女性たちもどうせ失礼な躾のなっていない人だろうとジャッジするようになった。

 このように、人はある一つの行動をそれぞれの“事情”を理解しないでジャッジしてしまう。

 では、このジャッジがどのような問題を引き起こしていくのか、掘り下げてみる。前述した例で問題になってくるのが、女性・里美が先入観ないしは偏見を無条件で持つようになったことである。

 
 

では、固定観念、先入観、偏見、そして差別の違いは何であろうか?

・固定観念(ステレオタイプ/Stereotype): 私たちは一様にある特定の考えやイメージを特定の人や社会に対して抱いている。
例えば、アジア人は理数系が得意、女性はみんな甘いものが好きなど。こうした、本来は正しくない情報が一般的に認知され、過度に一般化され、多くの人の間で信じられている。
この固定観念が肯定的、否定的に処理され、より偏った観念になったとき、先入観や偏見が生まれる。ではこれら二語の違いは何であろうか。

・先入観(バイアス/Bias): 私たちが最初に抱いた感情や、知った情報に基づいて作られた固定的、主観的は価値判断。先入観は肯定的、否定的の両方がある。
例えば、ある先生が、二人の生徒がけんかをしているのを目撃したが、そのうちの一人とはよく話をするが、もう一人とはあまり話をしない。この時にその先生は、よく話をしない生徒がけんかを始めたと決めつけた。この先生がよく話をする生徒に持っているものが肯定的な先入観であるためである。

・偏見(Prejudice): 私たちが、ある特定の個人や集団に対し客観的な根拠なしに下す不公平な判断や、またその先入観を偏見という。
偏見は通常、否定的な意味で用いられることが多い。例えば、ある人がほとんどの黒人は読み書きができず、教養がないという根拠のない不公平は判断を偏見と呼ぶ。
   
・差別(Discrimination): 人が意識的、潜在意識的、或いは無意識に抱く考えや観念が不当に、無責任に行動に現れたとき、差別に変わる。
例えば、外国人に対して偏見を持つ人が、無条件に外国人に対して暴言を吐いたり、暴行を加えたりした場合、差別となる。

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では、残酷な差別を生まないようにするには、私たちには何ができるか?

 ここで社会心理学の観点より解説する。
1: “No” と言い続けること。
私たちは、間違っていると分かっていることにも“No”と言うのを躊躇ってしまう。
しかし、言葉の力である言霊は、その使用の頻度が上がるほど、偏見、固定観念を弱める効果がある。何か事実とは違う、根拠のない不公平はことには“No”とその都度言うべきである。

2:Social Learning View (社会的学習視野)
私たちは偏見を、私たちの経験に基づき形成していく。
そのため、この経験学習を肯定的に利用することで、偏見を持ちづらくなる。
例えば、子育てにおいて、親が様々な違い(言語、人種、宗教、教育、文化、歴史)への理解を高め、偏見を持つことの危険性を提示し、教育することが一例である。

3:Contact Hypothesis (接触仮説)
私たちは、正体の不明なものに対して、不安や恐怖を感じる。
次第にその不安や恐怖は攻撃的、差別的は思想や行動に変容していく。
そのため、客観的な根拠を持ち合わせていない、また、触れ合ったことのない、否定的な印象を持つ事柄や人々、グループと接触する機会を増やすことで、偏見や差別意識を減少させることが可能である。

4:Recategorization (再分類)
私たちは、親近感のある集団や事柄に好意を寄せ、反対に親近感のない事柄や人に対し、境界線を引き、“部外者”として認定する。
接触仮説の結果として、その境界線を置き換えれば、偏見が取り除かれ、“部内者”と再分類できる。

5:Collective Guilt (集団的罪)
私たちは、何かの点で劣っている他者に対し、罪悪感を得る。
その時、その下位にあるものに対し、共感性が高まり、援助行動に変化する。
よって、その罪悪感と行動が、社会変化に結びつく。これは、差別の低減に効能がある。

 

まとめ

私たちはそれぞれ、まったく異なる“事情”を持っている。

それは多くの場合目には見えず、誤解を招き、無意識に“ジャッジ”し、より酷い社会問題へ発展する。

しかし、もし私たち一人一人が自分たちのもつ固定観念、先入観、偏見に対し“間違い”だと認識し、みんなそれぞれ、ある行動の裏には“事情”があるのだと考えられれば、私たちの心はより寛容になるだろう。

執筆日 2019年6月7日 執筆者Yoshi
6月10日編集・校閲

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